鈴木正雄さん(12班A)が時々口にされる言葉が気になっていました。
「子どもの頃、家の近くの用水路にザリガニ釣りに行ったよ」
今はすべてアスファルトに覆われてしまっていますが、12班の近くに用水路があった?1950(昭和25)年の県営住宅地開発直後に入居したお宅では大雨の度に水路があふれるので、昭和55年頃の改築時には土地をかさ上げしたという話も聞きます。谷矢部東は水と関わりが深かったのかもしれません。
町の奥深くに眠る水脈を調べてみました。
今から100年近く前の昭和初期に作成された『神奈川県鎌倉郡戸塚町』の地図を確認すると、八幡様の近辺から東海道線の線路に向かう水路が見えます。この地区は田園地帯を囲むようにして非常に多くの水路が流れています。
さらに、1975(昭和50)年発行『戸塚区(明細)地図』では、県営住宅として開発された谷矢部東を囲む水路が確認できます。鈴木さんが釣っていたザリガニは、八幡様の下から、今の三角公園を通りクリエイト方向へ流れて柏尾川へと注ぎこむ小川に住んでいたようです。もう一つの大きな水路はほぼ今のバス通りの下にあたり、大トンネルからセブンイレブンの前を通る蔵坪の交差点を少し過ぎたところから線路をくぐり柏尾川へ流れています。1960年代にはひまわり幼稚園に通う子どもたちがこの水路に入って遊んでいたと聞きます。
この2つの水路の源を辿って行くと、八幡様ルートは鳥が谷(今の鳥が丘)方面から出てきており、大トンネルルートは矢部池や神明台やアザリエ団地へとさかのぼっていけます。開発前、これの地域は畑や樹林に覆われたなだらかな丘陵地帯だったので、水も多く湧いていたのでしょう。今でも来迎寺の横には小さな水路があり、当時の面影を残していますね。
これらの水路は1975(昭和55)~1977(昭和57)年に地下に埋められ暗渠(あんきょ)化されて道になりました。
しかし最近、雨の量が下水道、側溝、排水路の雨水処理容量を上回って土地・建物や道路などが水浸しになる現象である「内水氾濫(ないすいはんらん)」という言葉も耳にします。埋めた水路は今どうなっているのか、氾濫の可能性はないのか、横浜市環境創造局下水道計画調整部の室屋(むろや)健太郎さんと、横浜市戸塚区土木事務所の立川碩志(たてかわ ひろし)さんにお尋ねしました。
まず、室屋さんは2021年8月改定の『戸塚区内水ハザードマップ』をもとに話してくださいました。
「谷矢部東地域は、道路冠水相当(2~20㎝)から床下浸水相当(20~50㎝)が想定されています。この内水想定区域は、想定最大規模の降雨によって水があふれる範囲や深さをシミュレーションしたものです。横浜市における想定最大規模の雨量とは1999年に千葉県香取市で観測された1時間あたり153mmという、関東地方で観測された過去最大の降雨量に基づいています。しかし昨今、『今までに経験したことのない』ような災害が頻発している状況を考えると全く油断できませんので、日ごろからお住まいの地域に関する正しい情報をハザードマップで確認し、避難方法を検討しておいていただきたいと思います」
また、土木事務所の立川さんは、
「バス通りの下に埋められている大トンネルルートは現在、直径2.8mのコンクリート管の『雨水幹線』として、柳作や矢部池、鳥が丘地区の地下水や雨水を柏尾川まで流しています。また、八幡様方面からの雨水は汚水とともに直径25㎝の陶製の『合流管』に流れていきます。子どもの広場(通称:三角公園)手前で直径1mの『合流管』に合わさり、町内の『いっとき避難場所』となっている道の下を通り、最終的には柏尾川沿いの栄第二水再生センター(栄区)まで流れていきます。三角公園で途切れた『合流管』は、公園の反対の端から再度始まり水再生センターに向かいます。2021年3月に三角公園で見つかった陥没箇所には管を敷設していませんので、地下水の浸食等による地面の陥没だったかと思われます。
なお、戸塚土木事務所では、いずれの管も定期的に清掃やカメラによってズレや陥没がないかを確認していますが、道路の陥没等がある場合は管の破損が起きているかもしれませんので、すぐに連絡をお願いします。住民からの情報が大変重要です」
と、実際に合流管のマンホールの蓋を開けて中を見せてくださりながら教えてくださいました。
しっかりと管理していただいていることをお二人から話をうかがい、とても安心できました。しかし、谷矢部東は柏尾川と阿久和川の合流点にも近く、河川の氾濫には十分に注意しなくてはいけない地域です。ハザードマップを確認し、引き続き大雨の際の避難方法や、ご近所のお年寄り等を気に掛けたいと思います。
(了)